<歴史上の違った選択肢>

 井口 治夫

 拙著に対して第20回大平正芳記念賞を賜りましたこと、大変光栄であり、深い感慨と喜びを感じております。平岩外四理事長、大平裕常務理事をはじめ、財団およびその関係者の皆様、渡邊昭夫委員長をはじめとする選考委員の先生方に厚く御礼申し上げます。
 研究生活における鮎川義介との出会いは、1991年でありました。日中戦争から太平洋戦争勃発の時期に、日露戦争直後に挫折した南満州における日米経済提携構想を連想させるような、満州における日米経済提携構想を提唱した鮎川義介の考えに新鮮な驚きを感じ、鮎川の行動の歴史的経緯や歴史的展開、また、鮎川の日米経済提携構想の意図に強い関心を抱くようになったわけです。その結果が、鮎川義介と日米関係に関するシカゴ大学大学院歴史学研究科に提出した博士論文執筆を経て、それが修正・加筆されたのち、最初の単著となりました。
 鮎川が戦前と戦後に問題提議した、外資に比較的開かれた形による日本の経済発展は、現在の中国の経済発展を考察したり、また、日本が未だに抱える経済上の諸問題を考える上でも有用な事例であるものと思います。彼は、日本人の底力を信じ、その能力を引き出していくためにも、外資の対日直接投資や日米合弁といった外資の対日流入を積極的に利用したがり、そうすることで日本の将来の展望を見出そうとしていたわけです。民主導の経済発展、比較的独立した、そして層の厚い中小企業、世界に通用する投資銀行といった、彼の人生において取り込んだテーマは、現在の日本の政治経済を考察する上でも歴史的材料を多く提供しているものと思います。
 鮎川の研究を進めるなかで、もう一つの出会いが日米戦争開戦前と占領期初期に、米国の対日穏健派として水面下で、日米戦争回避と占領政策の逆コースに尽力したハーバード・C・フーヴァー元大統領の存在でした。フーヴァーとの出会いは、ブラウン大学時代にアメリカ経済史の授業で、1920年代彼が商務長官時代推進した米国政府の産業政策の模索と、大恐慌発生時における緊急対策の再検証でしたが、彼のアメリカ政治外交史における役割について研究するようになったのは、シカゴ大学の大学院生になってからでした。フーヴァー、ロバート・タフト、バリー・ゴールドウォーター、ロナルド・レーガンという、フランクリン・ローズヴェルト大統領以降のニュー・ディール路線を否定する傾向にある共和党右派の流れに私が研究上強い関心を持っていることについては、戦前共和党右派を思想的・政治的に支持していたシカゴ市で大学院時代を過ごしていたことや、レーガン政権期に米国で学生生活を過ごしながら新古典派の経済理論を中心に学んでいたことと何か縁があるのかもしれません。いずれにせよ、鮎川とフーヴァーの世界観の共通性や、戦前・戦後の間接的連携を解明・考察していったことは、研究執筆生活上の楽しい一面でした。
 この度の受賞を励みに、上記の研究事項の延長線上の内容を含めて、一層研究に邁進してゆく所存です。